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名古屋高等裁判所 昭和47年(う)499号 判決 1973年4月26日

被告人 近藤智

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人原田武彦作成名義の控訴趣意書に記載されているとおりであるから、ここに、これを引用する。

所論の要旨は、原判決は、罪となるべき事実において、本件の事故発生現場である原判示交差点は、その西方一二〇メートルの地点より東方へ一〇〇分の七勾配の上り坂となつている坂の頂上であつて、しかも交通整理が行なわれていない左右の見とおしのきかない交差点であるから、自動車運転者である被告人としては、同交差点を直進するにあたつては徐行するとともに左右の安全を確認して進行し事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに拘らず、同交差点の手前二、三メートルの地点において時速二〇キロメートルに減速したのみで徐行せず、かつ、左右の安全の確認をしないで漫然と同交差点内に進入した過失があると認定、判示しているが、被害者の進路の交差点入口には一時停止の標識および白色の停止線があるのであるから、被告人の進路に優先通行権があることは明らかであり、また同交差点は、道路交通法(以下道交法と呼ぶ)四二条に徐行すべき場所として規定された上り坂の頂上附近にもあたらないのであつて、被告人はクラクシヨンを鳴らし、速度も二〇キロメートル前後に減じて本件交差点に進入したのであるから、自動車運転者としての注意義務に欠けるところはなく、本件事故は、原判示被害者が一時停止の標識を無視して同交差点内に進入した一方的過失に起因するものであるのに、原判決は、道交法四二条の解釈、適用を誤り、本件交差点が同条の徐行すべき場所にあたるとし、徐行義務あることを前提として被告人の過失を設定しこれを認定したのは重大な事実の誤認であり、右違法が判決に影響を及ぼすことは明らかであるというのである。

所論にかんがみ、本件各証拠を精査してみるに、原判決が、その罪となるべき事実として、所論のごとき事実関係を認定したうえ、被告人に原判示交差点を直進するに際し、徐行して左右の安全を確認しなかつた過失があるとしていることは原判決に徴し明らかであり、また原判決はその説示において、同交差点は道交法四二条の徐行すべき場所にあたり、本件において被告人が徐行していれば直ちに急停車の措置を講ずることにより本件事故を回避し得たものと考えられるとしているところからすると、原判決は、被告人の進行した道路から原判示交差点を直進する場合には被告人に道交法上の徐行義務があることを本件過失を認める前提として認定していることが明らかであるから、まず、同交差点が道交法上徐行すべき場所にあたるかどうかを検討してみるに、本件各証拠によれば、(一)本件交差点は、名古屋市千種区西坂町地内を東西に通ずる道路(市道西坂、丸山線幅員八・五メートル)と同町二丁目五四番地先の南北に通ずる道路(市道西坂、丸山町二号線幅員五メートル)とほぼ直角に交差する交通整理の行なわれていない、かつ左右の見とおしのきかない交差点であること、(二)右東西道路は、同交差点西方約一二〇メートルの地点から同交差点寄りに一〇〇分の七の勾配の上り坂となつており、同交差点は右上り坂のほぼ頂上附近に位置していること、(三)右南北道路から同交差点への北側入口には、公安委員会により一時停止の停止線の道路標識があることがそれぞれ認められる。ところで、同交差点は右のごとく交通整理の行なわれていない交差点で左右の見とおしのきかない交差点にあたるのであるから、一応道交法四二条の徐行すべき場所にあたると解されるが、反面右交差点の東西道路(被告人の進行した道路)の幅員は八・五メートル、南北道路の幅員は五メートルであり、また当裁判所の検証の結果による同交差点附近の四囲の状況、道路の見とおし状況などから考えてみると、東西道路が南北道路より幅員が明らかに広いものと認め得られるから、同法三六条により東西道路に優先通行権があり、したがつて、東西道路を進行した被告人については同交差点を直進するに際し直ちに停止することのできるような速度にまで減速しなければならない所謂徐行義務はないものと解するのが相当である(最高三小判、昭四三・七・一六、最高刑集二二・七・八一三参照)。尚原判決は、その罪となるべき事実として、本件交差点は西方約一二〇メートルの地点から東方へ一〇〇分の七の勾配の上り坂となつている坂の頂上にあたると判示し、道交法四二条の上り坂の頂上附近にあたる場所と認められるから、徐行義務があるとしているようであるが、同法条が上り坂の頂上附近においては徐行しなければならないと規定した趣旨は、上り坂の頂上附近においては進路前方、左右の見とおし状況が極端に不良であるから前方の安全確認義務を確実に果させるためにあると解せられるところ、当裁判所の検証の結果(見とおし状況を撮影した各写真参照)によれば、東西道路が上り坂となつているために前方の見とおし状況が極めて困難であり前方の安全を確認するためには是非とも徐行しなければならない程度のものとは認め難いから、同法条にいう上り坂の頂上附近にはあたらないと解するのが相当である。そうだとすれば、同交差点の東西道路を進行した被告人には、同交差点を直進するに際しては、原判決の認定した徐行義務は何れの点からしてもこれを認めることができないのに、これを認めた原判決は、この点において事実を誤認しひいては法令の適用を誤つたものであるが、原判決が認定した本件における被告人の過失の内容は結局において被告人が進路の左右の安全を確認しなかつた点に集約されるのであり、被告人が本件において進路の左右の安全を確認しなかつた過失が認められることについては後に説示するとおりであるから、前示徐行義務に関する事実誤認は判決に影響を及ぼさないものと考える。

次に、所論は、本件事故は、原判示被害者である西川剛史が自転車に乗用して原判示交差点の南北道路を北から南進し同交差点北側入口の一時停止の標識を無視して同交差点内に進入した一方的な過失によつて惹起されたものであつて、被告人には原判示のごとき同交差点の左右道路の安全を確認しなかつた過失はなかつたというので、この点について検討してみるに、(証拠略)によると、被告人は原判示日時、前示東西道路のほぼ中央を時速約三〇キロメートルで東進し、原判示交差点手前約一三メートル附近で時速約二〇キロメートルに減速するとともに、クラクションを鳴らし、同交差点西側入口附近に至つた際、左前方約六・六メートル附近に原判示西川剛史が自転車に乗車しながら同交差点北側道路入口の一時停止線を越えて相当な速度で交差点内に既に進入していたのを発見し、急制動の措置をとつたが間に合わず、交差点西側入口より三・七メートルのほぼ交差点中央附近において右西川の自転車の前輪附近が被告人車の左前部に衝突し本件事故が惹起されたものであることを認めることができる。そこで被告人が進行した東西道路を西から東に向かつて走行した場合の同交差点附近とくに原判示被害者西川剛史が自転車に乗車して進入した北側道路入口附近の見とおし状況について検討してみるに、前掲司法警察員の昭和四六年三月三〇日付実況見分調書、当裁判所の検証調書によると、東西道路から同交差点の左方道路に対する見とおし可能範囲は、東西道路の交差点手前約三〇メートルで同道路左側端から左に約二メートル、交差点手前約二〇メートルで三メートル、交差点手前約一〇メートルで五・五メートルであることが認められる。しかして、本件事故現場交差点は、被告人の進行した東西道路に優先通行権があり、また原判示西川剛史が進入した南北道路の交差点北側入口に一時停止の道路標識が設置されてあるが、証拠によれば、被害者西川剛史は、相当早い速度で右一時停止の道路標識を無視して同交差点に進入したことが認められるものの、他方被告人は時速約二〇キロメートルの比較的低速で進行していたものであるから、若し左方の安全確認義務を十分に尽していたならば、前示認定の道路の見おとし状況から考えて、被害者西川剛史を今少し早期に発見しえた筈であり、その場合被告人車の当時の速度からみて急制動その他の措置により本件の如き死亡事故を回避することが可能であつたと推認される。そうだとすれば、前認定の如く被告人が同交差点西側入口附近に至るまで同交差点内に進入した被害者を発見しえなかつたとの点において、被告人に道路左方の安全を十分確認しなかつた過失が存するというべきである。

したがつてこれと同旨の過失を認定した原判決には所論のごとき事実誤認、ひいては法令適用の誤りは存しない。論旨は理由がない。

よつて、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

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